2006年05月10日

長崎平和推進協会の政治的発言自粛要請問題

政治的発言自粛要請「思想制約せず」/長崎平和推進協 被団協に回答
 長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」(推進協)が会員に対し、被爆体験講話で政治的発言を自粛するよう文書で要請した問題で、推進協は9日、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)からの公開質問状に対し文書で回答した。
 それによると、発言自粛要請の文書は、被爆体験を語る継承部会員38人を対象にした「内部資料」と説明。「当協会の設立理念に沿った『不偏不党』の立場を踏まえてほしい」との趣旨で「個人の思想・信条について制約などを意図したものでは決してない」としている。
 回答を受けた被団協の田中煕巳事務局長は「公開質問状で指摘した問題への答えになっておらず論外。事の重大性が分かっていない」と批判。近日中に推進協に抗議文を送るとしている。
『西日本新聞』2006年5月10日・朝刊
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2006年05月08日

那覇市歴史博物館が7月開館

尚家遺産など一堂に/那覇市歴史博物館、7月8日開館
 那覇市歴史博物館が7月8日、パレットくもじ4階の旧逓信博物館跡にオープンする。3月に国宝指定された「琉球国王尚家関係資料」など、市所有の歴史資料が公開される。現在、開館に向けて準備作業が着々と進められている博物館の概要を紹介する。
 市には、尚家第22代当主尚裕氏から寄贈された尚家継承遺産の文書や美術工芸品、明治から大正時代にかけ県庁吏員として勤務した横内扶(たすく)氏が収集した近代沖縄の資料、冊封使や宮廷画師の書画など美術工芸品、旧那覇士族の染織品や工芸品「グシ宮城家資料」など、約7万点が保管されている。
 これらの一般公開が市の長年の課題となっていた。同博物館の展示基本テーマは「王朝文化と都市(まち)の歴史」。(1)中核となる資料は国宝「琉球国王尚家関係資料」(2)市内、近郊の県立博物館や壺屋焼物博物館、対馬丸記念館、浦添市美術館などと連携・協力し、各館が特色ある展示を行う(3)王都、県都としての那覇の歴史を紹介する―を展示の基本方針としている。
 810平方メートル余の面積に、展示、収蔵、管理機能を持たせた。展示施設には特別展示室、常設展示室、企画展示コーナーがあり、特別展示室では尚家継承資料、横内家資料などを中心に展示し、常設展示室には王都としての首里、港湾都市・那覇の歴史、文化の特色を示す資料を展示。企画展示コーナーは、年間3、4回を目安に更新する。
 オープンからの1カ月は全体的に国宝を前面に出した展示を行い、8月以降、常設展示を行う予定。企画コーナーでは「那覇のあゆみ」「10・10空襲」「那覇のまつり」などのテーマ案が出ている。
 同博物館整備は、昨年9月に逓信博物館跡を購入、今年2月議会で博物館設置条例が可決された。従来の歴史資料室が4月から歴史博物館に組織名を変更しており、銘苅庁舎から博物館内に移転する。
 3月までに改修工事が終わり、現在展示ケースやパネルの準備、ポスター、チラシの作製などが行われている。
 『琉球新報』2006年5月6日・朝刊
posted by mamoru at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

傷み深刻、修復急務 旧東恩納博物館

 扉の倒壊、雨漏り、シロアリ被害などが目立つ東恩納博物館跡の屋敷=うるま市 沖縄戦後初の博物館として使用され、県立博物館の母体となった、うるま市の東恩納博物館跡の木造建物(うるま市文化財指定)は、雨漏りや扉の倒壊などの傷みが深刻化している。
 所有者の平良博さん(62)は修復と保存に向けた市の対応を求めている。建物は現在、シロアリの被害がひどく、巣が屋根のひさしの下などでむき出しになっている。扉や柱の倒壊も目立ち、床は歩くと陥没しそうな部分も。県立博物館は那覇市おもろまちで新館建設が進み、立派な姿を現しつつあるのとは対照的だ。
 平良さんは「修繕には莫大(ばくだい)な費用がかかる。個人負担は到底無理。住んでもいないのに固定資産税などを払い続けている」と話し、市に早急な買い取りと保存を要望している。補助などが見込めない場合、文化財指定を解除してもらい、解体することも検討しているという。
 平良さんは「床を歩くのも怖い。台風が来ると大変だ。形だけの文化財だ」と不満をあらわにしている。うるま市教育委員会の田原正次文化部長は「市の文化財保護条例で補助の規定があり、必要性も感じているが、予算措置はこれから。所有者から修繕の見積もりを取り寄せ、補助が可能か、可能ならどれくらいできるか、時期も含めて検討したい」と話している。
 東恩納博物館跡は1945年、米海軍が瓦ぶきの民家を修理し「沖縄陳列館」の名称で使用。翌年、沖縄民政府に移管され、東恩納博物館に名称を変えた。53年に首里博物館と合併し、7年の歴史に幕を下ろした。2005年3月1日に旧石川市の文化財に指定され、うるま市は終戦後の沖縄における文化財保護啓蒙(けいもう)の発祥地と位置付けている。
 『琉球新報』2006年5月6日・朝刊
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2006年04月25日

与那原町史編集委全員が辞表

町史編集委全員が辞表/与那原
 与那原町史編集委員会は二十四日午前、渡名喜明委員長らが町役場に新垣信一町長を訪ね、六委員全員の辞表を提出した。同町は、行財政改革の一環で二〇〇六年度当初予算に町史編集予算を計上せず、四月から作業が休止状態になっている。
 渡名喜委員長は「最高責任者の町長に抗議の意思を示すものだ」と理由を述べた。任期一年を残し、全委員が辞任するのは異例。
 渡名喜委員長は「合併問題で町が揺れる中、町民や子どもたちに先人の知識を伝え、今後の町の在り方を探るための礎となるのは町史しかない」と強調。「休止は町政の根幹にかかわるものだ」と抗議した。
 任期満了を一週間後に控えた新垣町長は「休止に至るまで経過が一方的だったと思う」と謝罪。「予算は結果的に厳しいという判断になったが、今後は庁議に図るなど対応を教育長と協議してほしい」と話した。
 町史は現在、「資料編1・移民」の発刊が間近だが、町史編集室が職員不在で閉鎖状態となったため、同時進行の「戦時記録編」の遅れが危惧されている。
 同町は〇六年度予算編成から、各課に一定額の予算枠を提示し、その範囲内で予算要求する「枠配分方式」を導入した。町史編集を管轄する生涯学習振興課は「町史編集の専属職員を配置できず、十分な体制を取れないため休止との判断に至った」と説明している。
 これに対し同編集委は「町史の編集、刊行は町民に対する最良の情報提供、町民サービスだ。また生涯学習の一分野に押し込められるものでもない」と反論している。
   『沖縄タイムス』2006年4月24日・夕刊
posted by mamoru at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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